片手にドーナツ、心に花束

西部劇、マカロニウエスタン、ときどきアメコミ。

「スーサイド・スクワッド」はこの世界の変数のようなものである


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2016年。監督デヴィッド・エアー。主演ウィル・スミス。マーゴット・ロビー。音楽スティーブン・プライス。

「世界を支配されるぞ」
「だから?世界が何かした?憎まれただけよ」

ジェームズ・ガン監督によってリブートのような続編のような新作がつくられる「スーサイド・スクワッド」である。新作の「ザ・スーサイド・スクワッド」のキャストが発表されたばかりである。続編ではないが一部キャラは続投するようで、でもリブート。わけがわからないが、どうなるのだろうか?DCEUはわけがわからない。

やはりボロクソに酷評されたDC映画である。最高の素材を手に入れたが、活かしきれなかったの、という感じである。もちろん僕はDC映画を愛しているのでボロクソには貶さない。DC映画をどうしても叩きつぶしたい人は読まないほうがいいだろう。とはいえ、じゃあこの映画は百点満点か、と問われると、どうだろう、と答えざるを得ないのが辛いじゃないか。
とにもかくにも、ハーレイ・クインの映画である。ヴィラン(アメコミにおける悪者)が世界を救う、という反転した設定が売りの映画なわけだが、その反転から生じるであろう愉しさを最大限に体現していたのがハーレイ・クインである。ハーレイ以外のメンバーからは、ヴィランとしての極悪さ、危うさなどを感じることはできなかった。ここが甘いとせっかくの設定が活きてこないわけである。ハーレイだけは陰と陽がバランスよく描かれていた。マーゴット・ロビーの巧みな表現力がこの二面性をより強固なものとし、非常に完成度の高いキャラが出来上がったわけだ。

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映画「スーサイド・スクワッド」より

それでは他のメンバーはどうかというと、なんかみんないい人なのだ。そんなに悪いやつじゃない、という感じだ。なんかワケありなんだね、と思わせるのはいいのだが、そこと悪とのバランスがこの映画の生命線なわけだが、悪者感が明らかに弱い。弱いのだが、じゃあそこの比重を、悪者感を上げてみればいいのか、となるとそうなったらそうなったで混乱するだけなのかもしれない。悪いの?悪くないの?って感じで。じゃあいいってことじゃねえか、ってなるわけだがそうでもないから困るのである。つまりはバランスが重要なのだ。だがそのバランス、黄金バランスというのは相対的である。個人によってかなりの差が出るだろう。「スーサイド・スクワッド」が賛否が割れる結果となったのはそのためだ。個人的にはもう少し悪者感が強くてもいいかな、といったところだが、まあほどよいくらいがいいときもあるわけである。

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映画「スーサイド・スクワッド」より

どうでもいいかもしれないが、僕としてはデッドショットにはもっとマスクを装着しておいてほしかった。素顔だとウィル・スミス感が強すぎるのだ。デッドショットというよりウィル・スミスなのだ。そうなると余計に善人でしかない。ただ、たまに被るマスクもあまりカッコよくないんだな、これが。犬神家・佐清のラバーマスクみたいでね。これもまたバランスなわけだ。せっかくのウィル・スミスなのだからマスクばかり被ってるわけにはいかないのだ。劇中で被ったり脱いだりするマスクはラバー製のほうが都合がいいのだ。それじゃあいけないんだけどね。

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映画「スーサイド・スクワッド」より

さて、ハーレイ・クインのキャラが強烈すぎて他のメンバーたちが霞んでしまっているのはどうしようもないことだろう。それでもディアブロは善戦していた。炎を操るチーム最強の男だ。彼だけは悪に徹しきれない、というかそもそも大した悪でもない半端なキャラがフィットしているのだ。

映画「スーサイド・スクワッド」より

問題はジョーカーである。彼の作中での役割がよくわからない。ハーレイ・クインのオリジンを語るのに必要だった、というだけの役目で登場したようだ。なので、チームの一員ではないから本筋にはあまり絡んでこない。ただ映画の世界に混沌と混乱を提供しにきただけである。だが、それこそがジョーカーの本質だろう。ヒース・レジャーのジョーカーに比べるとインパクトは落ちるが、メインはスーサイド・スクワッドなのだから当然である。さらに、「スーサイド・スクワッド」の世界観に合わせたジョーカーなので、強烈すぎた「ダークナイト」版以降となると、え?ってなることは否めない。個人的にはコミックにおけるジョーカーとハーレイの絡みにずっと違和感があった。ハーレイ単体のキャラは好きだが、ハーレイに絡むジョーカーが、すべてではないが受け入れがたいところがあったのだ。だが映画「スーサイド・スクワッド」ではその違和感が解消されたのである。これこそハーレイに絡むジョーカーだ、と思えたわけだ。なので「スーサイド・スクワッド」にはこのジョーカーでいいのである。ヒース・レジャーのジョーカーがハーレイと交際していたら不気味である。不気味だから逆にそれはそれでいいのでは、とも思えるがやはり嫌だ。ただ、ジャレッド・レトのジョーカーは謎めいた感じがかなり薄まってたのは残念であり、道化師要素が弱いのもジョーカーらしくないかなあ、なんて思ったり。

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映画「スーサイド・スクワッド」より

音楽について触れる。音楽はスティーブン・プライスである。現代のヒップホップにクラシックなロックナンバーを放り込む手腕は悪くないなあ、と思ったが、高揚感はあまりなかった。同音楽監督による「ベイビー・ドライバー」のほうが断然よかった。いきなりブルース・エクスプロージョン「ベルボトム」である。ぎゅん、となった。「ワールズ・エンド酔っぱらいが世界を救う!」も良かった。まあ、これは単に世代によるものだろう。

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映画「スーサイド・スクワッド」より

この映画は正義と悪、本来ならば一本の線を引いて、その両サイドにそれぞれ配置されるべき思想であり行動基準が完全にボーダレスになっていることを描いている。「バットマンVSスーパーマン」の延長にあるテーマと言ってもよい。「ダークナイト」もそうだ。完全な正義も完全な悪もない。正義のなかにも悪はあるし、その逆もある。現代アメリカが抱える顕著な問題かもしれないが、そんなことはない、もっと普遍的な人類の問題なのだ。この世界における正義と悪は変数のようなものなのだ。我々はそういう世界で生きている。この映画がもつ半端感は、実にリアルなこの世界の鏡像なのだ。なので「スーサイド・スクワッド」を見てモヤモヤしたり、つまらないなと感じたりするのは当然のことなのだ。すなわち、その感情はこの映画に対するものだけでなく、我々が生きているこの世界に対する感情でもあるというわけだ。
と、ここまで書いておいてなんだが、「スーサイド・スクワッド」は単なる失敗作である。そんなことはないと、無理矢理にマイナスをプラスに転じようとこじつけで書いてみただけである。なぜなら、僕はこの映画が好きだからである。

最後に。この映画はアニマルズの「朝日のあたる家」ではじまり、ジョーカーの「家に帰るぞ」という台詞で終わる。その意味を深く考えてみるべきである。

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