Pat Garrett and Billy the Kid
1973年。監督サム・ペキンパー。主演ジェームズ・コバーン。クリス・クリストファーソン。音楽ボブ・ディラン。
サム・ペキンパーてある。そしてジェームズ・コバーンである。さらにはエーリアスというビリーの仲間役と音楽担当がボブ・ディランだ。
ボブ・ディランがきっかけでこの映画を見たのだが、西部劇というジャンルに足を踏み入れたきっかけとなったのもこの映画だった。因みにこの映画は公開時に監督無視の編集がMGMによって強行されたとかで、まあよくある話だが、公開版とディレクターズカット版があるようだ。今ではDVDで両方とも見られる。
西部劇の見所のひとつである派手な銃撃戦はほとんどなく、静かにストーリーは進んでいく。
ストーリーといっても、ビリー逃げる。じゃあ、ってギャレット捕まえる。じゃあ、ってビリーまた逃げる。じゃあ、ってまたギャレット追う。あっ、ってビリー射殺される。というシンプルなものだ。
まあ、史実に沿っているのだからそうなるのだけど。小説を読むというよりは詩集を読んでいるようだ。散りばめられた美しい映像と音楽。
「ビリー・ザ・キッド全仕事」という小説とも詩集ともいえない、フィクションともノンフィクションともいえない文芸作品があるのだが、それに近い。
ただ、邦題はビリーを前面に押し出しているが原題は「Pat Garrett and Billy the Kid」であって、ふたりを主軸に、むしろギャレットに重きをおいた映画になっている。ギャレットが生と死、理性と感傷、自由と隷属、狼と豚、終わりと始まりなどの狭間で揺らめく映画なのだ。
なんというか、実にロックである。だからやたらとミュージシャンが出演しているのかは、わからんが。まあ、役者としてのボブ・ディランは、その後役者として開花したわけではないことから察してほしいのだが、酷い有様ではない。妙な存在感はある。そこはさすがサム・ペキンパーである。
映画中盤、老保安官がビリー追跡中に撃たれて死んでしまうのだが、そのシーンがとても美しい。
黄昏時の河辺で人生の終焉を悟る老保安官、それは名も無き一人の男の黄昏時であり、ひとつの時代の黄昏時でもあった。
サム・ペキンパーといえば西部の終焉、黄昏を描く監督だ。今作での黄昏時はこの老保安官個人に焦点が当てられ、そこにボブ・ディランの「天国への扉」が流れる。
ただただ美しい。
ここでボブ・ディランが流れないバージョンもあるのだが、それはそれで悪くない。
それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。では失敬。
そんな感じで。