片手にドーナツ、心に花束

西部劇、マカロニウエスタン、ときどきアメコミ。

【ミスター・ノーボディ】


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IL NOME E NESSUNO

1973年。監督トニーノ・ヴァレリ。主演ヘンリー・フォンダ。テレンス・ヒル。音楽エンニオ・モリコーネ。

ヘンリー・フォンダがマカロニにやって来たの巻、なのであった。監督は「怒りの荒野」のヴァレリだが、実質的には原案・製作総指揮のレオーネの映画だという話。部分的にはレオーネが演出をしていたという話。これ以降は見るべきものがない、ということで最後のマカロニウエスタンと呼ばれているという話。いろんな話。魂は不滅とかそういうことではなく、生きる屍さようなら。

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映画「ミスター・ノーボディ」より

で、こんな話さ。

伝説の早撃ちガンマン・ボーレガードはもう、目が霞むなあ、腰が痛いなあ、疲れがなかなかとれないなあ、老化というどうしようもない現実的な理由で現役を引退し、ヨーロッパで余生を送ろうと決めたのであった。そうなると船だなあ、とふらふらしていると自らをノーボディと名乗る男が現れたのだった。正体不明のノーボディはボーレガードにストーカーのようにつきまとうのであった。

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映画「ミスター・ノーボディ」より

引退を決意したボーレガードに、ふわっといなくなるのではなく、伝説のガンマンに相応しいラストを飾って引退させたいのだ。そんで最後に自分がボーレガードを倒して後継者になる、そんなことをノーボディは目論んでいるのであった。

それにしても冒頭が長い。実にレオーネらしい。床屋で髭を剃るボーレガードを狙うポンコツ三人組が瞬殺されるまで、誰も喋らず、長いのである。もちろんポンコツ三人組が死亡する瞬間のカタルシスは凄まじい。長いこと待たされただけあるものさ。

一切の隙を見せずに凄まじいオーラを発するボーレガードに対してテレンス・ヒルの飄々とした演技が実に楽しいのであった。何をしたいのかさっぱりわからないノーボディにピッタンコで、老いたとはいえやはり作中だけでなく現実でもレジェンドと言えるフォンダのボーレガードとの対比が素晴らしいのである。

どうでもいいが、ノーボディが実に美味そうに豆を食べる。チリビーンズだろうか、フライパンから直接スプーンで食べる。ウエスタンを見てて食べたくなるのはチキンの丸焼きと豆料理である。

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映画「ミスター・ノーボディ」より

西部劇の伝説ともいえるヘンリー・フォンダを、作中では伝説のガンマンに設定して引退の花道をつくる。ここに現実に老いたヘンリー・フォンダを重ね合わせる。さらには末期を迎えていたマカロニウエスタンという斜陽の映画ジャンルを重ね合わせる。層を成した現実と虚構がオーバーラップして、むむ、ぼくは何を見ているのか?と、不思議な感覚に陥るのである。

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映画「ミスター・ノーボディ」より

「ワイルド・バンチ」で西部劇を終わらせたと言われるサム・ペキンパーの墓がでてきたりとレオーネの倒錯したような感情が随所に散見される。ノーボディがボーレガードのために用意した花道もワイルドバンチ150人との対決であった。美しい銃撃戦を経て、西部劇というアメリカの神話はグランドフィナーレを迎える。アメリカからはじまり、マカロニウエスタンとなって西洋で生まれ変わったレオーネのウエスタンはヘンリー・フォンダを迎えた。環を描くようにして伝説のガンマンはヨーロッパへと旅立っていく。そして最後はノーボディが床屋でカンチョーである。ここでも環を描いている。ここはとても大事である。

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映画「ミスター・ノーボディ」より

それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。では失敬。