MINNESOTA CLAY
1964年。監督セルジオ・コルブッチ。主演キャメロン・ミッチェル。音楽ビエロ・ビッチオーニ。
無頼、といわれると日本人としては坂口安吾や太宰治、石川淳、壇一雄などを思い出してしまう。
お酒を過剰に飲んだり、配偶者の財布から生活費をこそっと盗みギャンブルに費やしたり、そんなことばかりしてそうな、人間の屑、みたいな男を想像してしまうがミネソタ・クレイはちがう。
ミネソタ・クレイはただのイケてないオヤジである。ミネソタ・クレイは寸胴みたいな体型のオヤジである。地味な色合いの服を着て、目がかすんでるオヤジである。よくふらつくオヤジである。
あまり強そうには見えない。最後もボロボロだ。でも西部一の早撃ちである。人は見かけによらないのだ。不思議な安定感のある男だ。
しかも監督はコルブッチだ。しかも「荒野の用心棒」よりも前の作品だそうだ。でも通説では「荒野の用心棒」が最初のマカロニみたいになってる。そういうことはよくわからんが、マカロニウエスタンというジャンルを確立したのがレオーネ、ということになってるのだろう。たしかに「ミネソタ無頼」は、後のマカロニ的な要素を含んではいるが、ハリウッドウエスタンに近い作風だ。
で、こんな話さ。
イケてないオヤジのミネソタ・クレイはいきなり強制収容所から脱獄する。ここからは脱獄できんと言われた直後に脱獄してしまう凄腕ミネソタは、自分の無実を証明するために走り回る。
いきなり若い女子を助けたりしてカッコいいはずなのだが、そう?って感じのミネソタ・クレイ↓
自分の無実を証明するために脱獄するという、実に目新しいストーリーだが、というのは嘘だが、なかなかうまくはいかない。
町を分割する二つの勢力フォックスとオルティスの争いに巻き込まれるのだ。
やはりどこかで聞いた話だ。
さらには生き別れた娘ナンシーと再会するのだが、僕がパパだよ、さあおいでペポニ、とは言えずにただ妻の形見の片割れのペンダントを手渡すだけなのであった。でもこのペンダントがラストで大逆転を起こすのだ。
主人公のクレイがジミーズなパパのためか、脇を固める面々はなかなかキャラが立っている。
ナンシーにラブラブシールをはりまくるアンディは教科書どおりのコメディリリーフだ。でもクレイに接していくことで西部の男として少しだけ成長していく。
二大勢力のひとつの頭領でクレイの仇でもあるフォックスもいい。とにかく悪い。悪いくせに引き際を心得ているからさらに悪い。そろそろ新しい町へ移動しようかな、なんて思案して、いいことばかりは続かない、という現実をよく知っているフォックスなのだ。
フォックスの部下の赤いスカーフの男もいい。名前を忘れてしまったが、カッコいい。たいして強くもないし、これといって見せ場もないのだが、妙にカッコいい。
そして二大勢力を往来する女エステラである。このエステラの背景がよくわからないのだが、さんざんクレイを振り回しておいて結局は哀しい運命を辿る。いったい何がしたかったんだよ、と言いたいがなんかステキな女性なのであった。
西部の座頭市と騒がれて物凄いのがやってきた、と言われればそうかもしれないが、そこまででもない。町の二大勢力といいながらもオルティスのほうはわりとあっさり全滅する。かなりのお馬鹿集団だ。本当にフォックスはこいつと争っていたのか?
とまあ、色々と中途半端な印象は否めないが、コンパクトにまとまった楽しいウエスタンである。
それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。では失敬。