THE CULPEPPER CATTLE CO.
1972年。監督ディック・リチャーズ。主演ゲイリー・グライムズ。音楽ジェリー・ゴールドスミス。
アメリカンニューシネマ期の西部劇で、とてもリアルな西部開拓時代のキャトル・ドライブを、カウボーイと共に少年が大人になっていく姿を瑞々しく描いた映画である。でもドキュメンタリーか?というくらいドライでもある。
でも、淡々とした演出なのだが、最後にやってくれたりもするのである。男前成分大放出である。西部劇というジャンルはこのあたりから、きちんと自分たちの歴史に向き合おうよ、ていう空気になっきて、盛りまくりのウエスタンだけではなく、リアリティ重視の作品が増えてくるらしい。
で、こんな話さ。
ティーンエイジャーのベンはカウボーイに憧れ、退屈な毎日から脱するためにカルペッパーのキャトル・ドライブに参加するのである。
ベンは嫌だなあ、こんな平凡な毎日は嫌だなあ、カウボーイになりたいなあ、と青臭いことを考えていて、遂にはキャトル・ドライブ中のカルペッパーさんにコック助手として雇ってもらうことになったのであった。カウボーイの習わしで、コック助手が女子だったらいいのになあ、というとでコック助手は男でもメアリーと呼ばれるため、ベンもメアリーとしてキャトル・ドライブに参加するのであった。
キャトル・ドライブは過酷である。二千頭もの牛を連れての長旅である。だから、いろんなことがあったよ。
牛泥棒の策略により牛さんたちが逃亡させられ、その逃亡した牛200頭を囲った牛泥棒に金銭を要求されるという理不尽極まりない事態になるもカルペッパー団は屈することなく牛泥棒たちを皆殺しにするのであった。とはいえ犠牲もあり、欠員補充のためにベンがカスティーゴっていう町に使いに出されるのであった。
町へ向かう中途、ベンは二人組の野盗に拳銃と馬を奪われてしまうのだった。でもめげずにとぼとぼと歩行によってカスティーゴにたどり着いたベンは酒場で目当てのラスをリクルート。
いいよー、快諾するラスとその仲間たち3人を加えてカルペッパーさんたちを追いかけるのである。さらにラスたちはベンを襲った二人組を射殺して拳銃と馬を奪還してくれたのであった。
キャトル・ドライブは過酷である。二千頭もの牛を連れての長旅である。ここからも、いろんなことがあったよ。
なんやかんやでベンは足手まといだなあ、と思い始めたカルペッパーさんはベンを駅馬車で故郷へ送り返そうとするが、ミスを挽回する活躍によって強制送還を免れたベンであった。
少しずつ男として成長していくベンであったが、その代わりにだんだんと、カルペッパーさんが残念に見えてくるのであった。組織のリーダーとして牛二千頭を無事にコロラド州まで運ぶことを最優先とするので、様々な大人の決断をするカルペッパーさんをベンは、しょっぺえじゃん、って思ってしまうのだった。
ラストは、横暴な地主に迫害されてる敬虔なコミュニティを救うために男気祭りが開催されるのである。映画とは基本的にはファンタジーだと思っている。もちろん「ハリーポッター」みたいな映画こそ映画だ、と言いたいわけではない。
「ハリーポッター」は嫌いではないが、まあそういうことではない。日常と映画の関係性みたいなことにおいての意味だ。でもリアリティ重視の映画もおもしろい。でもどこかでファンタジーも求めている。
「男の出発」は歴史修正主義といわれる映画で、リアルなカウボーイの実像を描いているが、最後にリアルとファンタジーが見事なケミストリーを起こしてくれるのだ。
もう「荒野の七人」か「ワイルド・バンチ」である。男たちの男気が炸裂するのである。
残念な大人と男気あふれる男たちの対比があるわけで、西部劇を見るからには当然のことに男気があふれてるほうがいい。でもそれなりに齢を重ねた立場で、色んなシステムに絡まった日々を送るようになって鑑賞すると残念なカルペッパーさんへのシンパシーも少なからずあるのであった。
そんなわけでラストのなんともいえずに漂う虚無感も、すごく現実的なのである。ここが見事なケミストリーなのである。
それにつけてもルーク、ラスの仲間のルークがカッコいい。上の画像の左から二人目の男だ。たまらん。さらにいまさらだが、この映画は「出発」と書いて「たびだち」と読みます。
それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない、哀しいだけじゃない。では失敬。