明日会おうよベストな体調で

西部劇、マカロニウエスタン、ときどきアメコミ。

【砂漠の流れ者】

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THE BALLAD OF CABLE HOGUE

1970年。監督サム・ペキンパー。主演ジェイソン・ロバーツ。音楽ジェリー・ゴールドスミス。

 

監督であるペキンパー自身が最高傑作と言い切る作品なのであった。

派手な銃撃戦やバイオレンス描写はない。ペキンパーとしては異質なハートフルで寓話的な映画だ。これを見ていつも思い出すのは「バグダットカフェ」「バスを待ちながら」というキューバ映画なのであった。

どちらも偶発的・運命的に出会った仲間が仮初めの理想的なコミュニティを形成していく話である。はっきり言って二つとも「砂漠の流れ者」とはまったく違う映画なのだが、どういうわけかこの三つの映画はぼくの中で有機的な構造をもち、ひとつの枠に収納されている。

 

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映画「砂漠の流れ者」より

 

異質とはいえペキンパーなので、描かれているのはやはり終わりゆく西部への挽歌である。

主人公ホーグは自分を裏切り、砂漠に置き去りにした二人の男への復讐を誓うのだが、そのことはあまり感じさせない。そういえばそうでしたな、ほほ、そんな展開なのだ。

砂漠に放置され、やべ、もう死ぬ、ってときにホーグは偶然にも水源を発見する。そこは町と町のちょうど中間地点で駅馬車などの休憩所に最適なところだった。

簡易的に作った水飲み場にやってきたエセ牧師ジョシュアに土地を所有したいなら登記所に行かなければなりませんな、などと教えられてそのようにし、だったらやってみなはれ、あんた、やってみなはれ、って町の銀行家が話のわかるナイスガイで融資を受けたホーグは本格的な中継駅をつくり運営するのだった。

 

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映画「砂漠の流れ者」より

 

町で出会った娼婦のヒルディ、エセ牧師ジョシュアらと共に砂漠の真ん中での日々が過ぎていく。

それにしても優しい。

ペキンパーの演出というか視線が優しい。水源を発見して出会う駅馬車の御者や銀行家など、ペキンパーらしくないキャラが脇を固める。

ヒルディはあまりにも愛らしい。そして「パンツの穴」「毎度おさわがせします」かのようなベタなお色気ネタ、ミュージカルみたいな演出が楽しくてしょうがないのであった。

だがそのような日々もいつか終わる。愉しい日々も、やさしい時間も、いつか終わる。

西部開拓時代の終焉と重なるように。ジョシュアが去り、ヒルディも都会での生活に旅立っていく。

 

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映画「砂漠の流れ者」より

 

だが、砂漠の真ん中にひとり取り残されたホーグのもとに、遂に、かつて自分を裏切った二人が現れるのである。

復讐を果たしたり、果たさなかったり許したりでホーグ自身も新しい時代に向き合うことを決める。

最後はなんだか岩野泡鳴「ぼんち」みたいだが、ジョシュアの弔辞の演出が素晴らしい。ひとつの時代の終わりを否応なしに突きつけられるのであった。

 

それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。では失敬。

そんな感じで。

 

↓サム・ペキンパー監督作↓

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