ADIOS GRINGO
1965年。監督ジョージ・フィンレイ。主演ジュリアーノ・ジェンマ。音楽ベネデット・ギリア。
定番の、無実の罪を着せられてそれを晴らすために孤軍奮闘、という王道ストーリーのマカロニウエスタンなのであった。でもスーパースターのジェンマだからそんなことはどうでもいいのであった。本来なら孤独な闘いになるところを、ジェンマの人柄なのかいつだって援助が入る。そんなところもまたジェンマらしくていいじゃないか。ちなみに「続」とあるが「さすらいの一匹狼」とはなんの関連性もない。いつものことである。大人の事情、ってやつである。大人になんかなりたくない。
で、こんな話さ。
ささやかながら土地を購入し、さあてどうするか、ってところでブレントは友人のジルに出くわし、激安で牛を譲ってもらったのであった。安すぎじゃね?とも思ったが友人だしまあいいかとブレントは買うことにしたのだが、やはりそれは安すぎで、なんでかっていうと盗品だからであった。そんなことも知らずに暢気に牛を連れて町に帰ったブレントは持ち主の男に、それ俺の牛じゃね?つうか俺の牛じゃん、と詰め寄られ撃ち殺されそうになったところを返り討ちにしてしまうのであった。盗品だなんて知らなかったんじゃー、と声高に叫んでも誰も聞き入れてくれず、賞金までかけられ、ブレントは無実を証明するために逃げるしかないのであった。
やっべえなあ、とかいって友人ジルを追うブレントは全裸で大地に張りつけにされた女性ルーシーを助けるのであった。様子を見に戻ってきた男たちをブチ殺したブレントはルーシーを近くの町まで連れていくのである。男として当然である。ルーシーは駅馬車強盗の被害者のひとりであった。町で親切な医者バーフィールドに助けられ、じゃあ、ぼくはやることあるから、ってブレントは先を急ごうとするがルーシーにそばにいてくれとせがまれ留まることにするのであった。
本来はそんなことをしている立場ではないブレントであって、案の定オックス保安官に怪しまれてしまい、手配書まで回ってきて、やっべえじゃん、ってなるのだがバーフィールドらにフォローされどうにかなるのはさすがジェンマである。マカロニのプリンスは必要以上に苦労はしないものである。自分の無実を証明するために奔走しなければならぬのに、である。
御都合主義というかなんというか、駅馬車強盗団のなかにブレントが追いかけていた、すなわち盗んだ牛を売りつけてきたジルが紛れていて、ルーシーを助けることによって自分の冤罪を晴らすこともできそうで時短だね、ってなるのだが強盗団のリーダーが町を牛耳るランチェスターの息子エヴァリーであることで一気に面倒になるのであった。ルーシーを助ける、通りすがりの町の腐敗を正す、自分の冤罪を晴らす、実に忙しい。
やはりジェンマはいい。自分が崖っぷちに追い込まれているというのに女子を助ける。そんなことをしている場合ではないのに、助ける。それがジェンマという男だ。しかも悲壮感の欠片もないのである。自身のキャパを超えて無理をして結局はぐしゃってなりながら必死、正しいことしてるけどチョー必死、それではジェンマではない。サラリとやってくれねば。
さらに最高なのがオックス保安官である。ブレまくりである。信用してくれたかな、と思ったらまた疑ってきたり、お前はいい奴だと言ってくれたかと思ったらまた犯人扱い。ブレることのないバーフィールド医師がいることで尚更イラっとするわけだが、西部劇においてはこういう保安官がたまらないわけである。とはいえ、ウエスタンなので当然のことに最後はしっかりと男気を見せてくれるので安心だ。
それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。では失敬。
↓実際は無関係ですけと何か?一応。