3:10 To Yuma
2007年。監督ジェームズ・マンゴールド。主演ラッセル・クロウ。クリスチャン・ベイル。音楽マルコ・ベルトラミ。
追悼ピーター・フォンダ。
ピーター・フォンダの追悼としてはどうかと思うが、ちょうど書いてたので。いずれ「さすらいのカウボーイ」について書きたいと思う。
1957年「決断の3時10分」のリメイクなわけだが、オリジナルを越えている。でもまあ2000年代のリメイク西部劇はオリジナル越えが多い。と思ってしまうのは世代だろう。
例えばコーエン兄弟の「トゥルー・グリット」だ。これは「勇気ある追跡」のリメイクなわけだが、まあコーエン兄弟はリメイクではなく同じ原作小説の違う映画と言っているが、とにかくオリジナルより素晴らしい作品なのであった。
マカロニ通過以降で、さらに西部劇が斜陽なジャンルとなった状況であえて西部劇を撮る、というのはその作品に対して並々ならぬ情熱があるということであって、そんなときのパッションは大抵は見るものに伝わる。
この西部劇はとくにそれが伝わってくる。主演の二人からだけでなく、画面のすべてから愛が伝わってくるのだ。
とかなんとかいってみて、結局のところはクリスチャン・ベイルが好きなのであった。
好きなんだ。
ベイル。ラッセル・クロウも好きなのだが、ベイルなのであった。なんやかんやと悩める男を演じたときのベイルは輝きを増す。今回もそのようになった。
さらにはピーター・フォンダ。永遠のヒーローであるピーター・フォンダ。
で、こんな話さ。
ダン・エヴァンスは南北戦争で脚を負傷してまともに働けず借金を返せず土地を奪われそうになり、けっ、などと息子に蔑まれ、嫁ともギクシャクして、納屋に火を放たれてもう堪忍してぇ、ってなって。
でも必死になって。
そんなときに強盗団頭領ベン・ウェイドを刑務所行き、すなわち原題であるユマ行きの汽車が出る駅まで護送するという短期バイトにありつく。
頭領の奪還を目論む強盗団の襲撃に備えるためなので危険極まりないバイトだ。でもやる。ダンはやるのだった。
この西部劇はとにかく、あらゆるキャラクターが絶品なのだ。
当然のことにベン・ウェイドもいいわけである。
悪党だが妙に魅力的なのだ。こっそりとダイムノベルを読み耽るダンの息子ウィリアムがベンに惹かれるのもやむ無しなのだ。
「神の手」と称される早撃ちで、知的で、絵心もあるのだった。
やたら含蓄のある言葉を撒き散らし周囲を困惑させる。一歩まちがえると、めんどくさい奴、罪人のくせに、と思われてしまうだろう。
善とは何か悪とは何か。アパッチ族の女子供を虐殺した賞金稼ぎは善なのかと。神はアパッチが嫌いなのかと。
確かにめんどくさい奴である。
そんなベンによって崖から放り投げられてしまう賞金稼ぎバイロン。そう、ヘンリー・フォンダの息子ピーター・フォンダである。
永遠のヒーロー、ピーター・フォンダ演じるバイロンもいいのであった。
いきなりベンの右腕・チャーリーに腹を撃たれてしまうバイロンだが、死なない。バイロンは死なない。なぜならピーター・フォンダだからだ。
腹を撃たれても老体に鞭を打って任務を果たそうとするのだ。絶体絶命の状況でも媚びたりしない。なぜならピーター・フォンダだからだ。実にシンプルな正義を遂行する男である。
善が悪を刑務所に送還するという単純な構図でありながら、バイロンやタッカーという地主の手先の存在によって善と悪の境界線が崩壊しているのだ。
この辺の奥深さやキャラの濃さはオリジナルにはない要素だった。
で、なんやかんやあって、駅までの道中でなんやかんやあってもダンは揺るがないのであった。
悪魔のささやきにも屈しないのであった。
「誇れるものが何もない」というダンはこの仕事だけはやり遂げると決めている。
頑ななわけではない。
そうして二人の男は少しずつ惹かれあっていくのである。ベンだけではない、残念な父親に愛想を尽かしていた息子のウィリアムもまた考えを改めるのである。
無法者であるベンに惹かれていたが、家族を守るために何度でも立ち上がるダンを尊敬の眼差しで見つるようになるウィリアム。
登場人物の99%が荒くれ者の中で、重大犯罪者の護送という苦行において、前と悪が混濁している世界で、未来への希望かのようなウィリアムである。
演じたローガン・ラーマンは後に「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」のダルタニアンで成長した姿を見せてくれる。
僕はこの「三銃士」が大好きなのだが、明らかに続編をやりそうな雰囲気だったが、やらない。残念である。
ラスト。
駅近くのホテルで汽車が来るのを待っている間、外はベンの部下と賞金目当ての町民共で溢れダンたちは四面楚歌状態。
保安官たちはびびって逃げ出し、ベン一味に散々やられてきた鉄道会社のバターフィールドも、もうあきらめようぜ、などと言い出して孤立無縁のダン。でもダンは決めている。
信念を貫き通すと決めている。
そんなダンをベンはスケッチする。ベンは魂を揺さぶるもの、美しいものに出会うと胸に刻み込むためにスケッチするのである。
息子のウィリアムにあとを託し、たった一人でダンはベンを連れて駅に向かう。
もう最後は涙なしでは見られない。
誇れるもののために駆け抜けたダン、それを見届けたウィリアム、静かに魂を揺さぶられたベン。器用にスマートには生きられない、ただ自分に真摯でありたい、そんな男たちの胸を焦がす映画だ。
最後に、忘れてはならないのがベンの右腕チャーリーである。
2000年代のウエスタンに突如として出現した奇跡のような男だ。オフホワイトっぽいレザージャケツにオレンジっぽいパンツ、フレアパンツという派手なファッションに二丁拳銃。
リーダー奪還のためならなんでもするキレキレのナンバー2。ルックスから言動まで、完璧すぎる男だ。なんせピーター・フォンダの腹に銃弾をブチ込んだ男なのだ。それってとんでもないことだ。というわけでチャーリー祭りである。
それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。ピーター・フォンダはずっとここで生きつづけている。では失敬。