PER IL GUSTO DI UCCIDERE
1966年。監督トニーノ・ヴァレリ。主演クレイグ・ヒル。音楽ニコ・フィデンコ。
あの「怒りの荒野」の監督デビュー作なのであった。
スコープを備えたライフルをかまえ、高みから悪い連中を覗き見る主人公ハンク・フェローのストーカー行為ともいえる奇行から映画は始まるのであった。
で、こんな話さ。
頼まれてもいないのに強奪された銀行の現金を取り戻してあげて報酬を要求するフェロー。その腕を買われて銀行の金塊を死守するよう依頼されたフェローだった。
悪い連中が運搬中の現金を強奪するのを、よし、って見届け、つかず離れずの距離を保ってストーカー行為をしていくのである。ただずっとついて行くのである。遠くから、じっと見ているよ。僕はここにいるよ。見られてるのは安定のマカロニ界の裏番フェルナンド・サンチョだよ。でもすぐ死ぬよ。今回は。
めっちゃキモいやん、って、悪い連中は思った。まだいるよ、って悪い連中は思った。小屋で仮眠をとっていても気になってしかたないよ、って悪い連中は思った。悪い連中が思った通り、その後フェローに悪い連中は皆殺しにされてしまうのだった。
強盗一味とグル、とかそういう疑いは一切抱かず銀行は、こいついい奴じゃん、頼れる男じゃん、ホンマやねえ、などと新たな仕事を依頼するのであった。まあ、win-winといえばそうかもしらん。
金塊を守り抜くという依頼を受けたフェローは策をめぐらすのである。で、悪巧みをする連中というのはやはりどこにでもいて、なんと銀行員の弟ケネベック一味が金塊のことを嗅ぎつけるのである。でもこの兄弟、似てない。明らかに人種も違う。
さらには悪い弟ケネベックは兄の娘を、すなわち自分の姪を拉致し金塊強奪に活用しようとするのである↓
さらにケネベックには悪者のくせに、べつにかまわないけれども、子供がいるのだ。さらには悪い連中の構成員には拉致された姪の元カレみたいな男までいて、さらにはそいつが姪の見張り役を任命されるのである。さらには実はケネベックはフェローの弟を殺した仇なのであった。
なんだかいろいろと都合がいいというか詰め込み過ぎというか、さらには哀しいことにこのすべての配置がうまく機能しているとは言い難いのだった。
でもまあ、ストーリーのテンポはよく、見てて飽きない。スコープ付きライフルや電信局を利用した爆薬発火などガジェットも面白い。
↓電信局の男子が、ダイナマイトを遠隔操作して爆破するのだ↓
フェロー率いるいいもの軍団はケネベックの部下をリンチしたり息子を拉致したりと容赦ない。それでもやることなすことすべてうまくいくフェロー。
ずっとスナイパーみたいにライフルばかり使っているが、ラストにガンマンとしての凄さを見せつけてくれるよ。その腕前は有り得ないほどにすごいのであった。偽クリント・イーストウッド、という感じがしないでもないが、マカロニ的、B級的カッコよさはじゅうぶんに備わっている。
それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。では失敬。