片手にドーナツ、心に花束

西部劇、マカロニウエスタン、ときどきアメコミ。

【夕陽のギャングたち】


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Giù la testa

1971年。監督セルジオ・レオーネ。主演ロッド・スタイガー。ジェームズ・コバーン。音楽エンニオ・モリコーネ。

セルジオ・レオーネの「ウエスタン」「イン・アメリカ」とともにワンス・アポン・ア・タイム三部作。と言われてるようだ。そもそものタイトルが「ONCE UPON A TIME …THE REVOLUTION 」だったからだとかなんとか。でもベルトルッチの別の映画とかぶるために変更したとか。しないとか。ション、ション、ション。

西部劇、マカロニウエスタンと言われると、むむ、となるのは舞台はもう20世紀だし、メキシコ革命だし、心情的にはレオーネの最後の西部劇は「ウエスタン」だろうと受け止めてるし、まあどうでもいいんだけど、とりあえずギリ西部劇ということで。メキシコ革命を背景にした西部劇のときはいつも思うことだし。いいよね。ション、ション、ション。

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映画「夕陽のギャングたち」より

で、こんな話さ。

たまたま出会った二人。山賊一家の長であるファンと、元アイルランド革命戦士のジョン。二人は不思議な関係性で革命に関わっていく。

ちょっかいを出したためにジョンに爆薬で仕返しされたファンは、ほわんほわんほわ~ん、って思いつく。僕とジョンがション&ジョンとしてバディになれば銀行を襲うなんて大したことじゃないんじゃね?あるんだよなあ、襲いたい銀行。メサヴェルデ国立銀行。ということでジョンを勧誘するファンなのであった。面倒だなあ、嫌だなあ、乗り気にならないジョンであったが、なんやかんやで誘いを承諾するのだった。

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映画「夕陽のギャングたち」より

単純なファンは実は騙されたのであった。襲撃予定のメサヴェルデ国立銀行は政治犯の収容所と成り果てていて、ファンは知らずに革命戦士解放の手助けをしたのである。英雄になってしまったファンはそこからずるずると革命に巻き込まれていくのであった。ション、ション、ション。

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映画「夕陽のギャングたち」より

とにかく男!男!男!男の友情祭りなのであった。二人が出会うまでに30分くらいかかる。長っ!でも、冒頭でファン一家が豪華な駅馬車(って感じの乗り物)を襲うシーンのカタルシスは長いぶんだけ相当なものがある。上流階級と山賊一家のそれぞれの立場が一瞬にして反転する。さらにはこの襲撃シーンでファンの運命が示唆されているというわけだ。革命の物語、のようでそうではない。イデオロギーもなにもない、家族こそが自分の国家だと考える男の、革命の少し外側にいる男の革命の物語だ。革命に翻弄されてしまった、革命によって多くのものを失ってしまった、男と男の物語だ。

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映画「夕陽のギャングたち」より


原題は、頭を伏せろ、という意味である。ジョンがダイナマイトを使うときに言うセリフなわけだが、それだけではない。面倒から顔を背けろ、という意味もある。この映画における面倒とはなにか。それは革命に他ならない。正義のための革命であっても、多面的に捉えると様々な解釈が可能となる。

60年代から70年代は世界的に革命の季節であった。そんな時代背景においてメキシコ革命を題材として、レオーネは映画界などで革命を一律に礼賛するような風潮に一石を投じたわけである。革命に巻き込まれて家族を失ったファンは言う。

文字を読めるやつが革命を煽って、文字を読めないやつが闘って死んでしまう。

ここで原題の意味が、観る者にずしりとのしかかってくるのである。見て見ぬフリをしろ、と。家族を失い革命にうんざりしていたファンは他にできることもなく流れに身をまかせていたわけだが、最後は唯一の友であるジョンにも先立たれ独りになってしまう。革命の中心よりも周縁を描くことで見えてくる景色。「走れ、男、走れ!」もそうだった。マカロニウエスタンの監督は中心よりも周縁を描くのを選択するのかもしれない。

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映画「夕陽のギャングたち」より

劇中、ジョンのアイルランド時代の過去がフラッシュバックによって断片的に語られる。台詞は一切なく、モリコーネの音楽だけが奏でられる。幸せそうに過ごすジョンと恋人と親友の3人。親友の裏切りによって連行されそうになるジョン。親友を射殺するジョン。ここまでのフラッシュバックでは、ジョンは裏切った親友を射殺した過去を背負って、メキシコで新たな革命に身を投じている、と受け取れる。だが、アメリカ公開版では時短のために一部カットされてしまったラストのフラッシュバックで衝撃的な事実が示される。その事実が暗示するのは、ジョンの過去を180度変えてしまうようなものであった。人生の最期に、新たな友であるファンとの別れの際で起きたフラッシュバックで明かされた事実が示す過去が暗示どおりだとすると、ジョンが裏切り者の指導者に向けて言った「人を裁くのは一度だけでいい」という言葉も素直に受け止められなくなる。それならジョンはいつ、誰を、どう裁いたというのか。何度もこの映画を観ているが、未だに明確な答えは出ていない。この先も出ないかもしれない。ただただ、革命という思想暴力がもつ一つの側面、黒い影だけが目の前に広がるばかりである。

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映画「夕陽のギャングたち」より

革命とは

贅沢な食事でも

言葉の遊びでもない

刺繍の模様でもない

優雅さと丁寧さをもってなされるものでもない

革命とは暴力行為なのだ

―毛沢東―

それじゃあ読者諸君、毎日は愉しいだけじゃない。哀しいだけじゃない。では失敬。

↓セルジオ・レオーネ監督マカロニウエスタン。

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