The Outlaw Josey Wales
1976年。監督クリント・イーストウッド。主演クリント・イーストウッド。音楽ジェリー・フィールディング。
やたら唾を吐く男ジョージー・ウェールズが主人公の西部劇である。クリント・イーストウッド監督の西部劇第2作目である。映画にはイーストウッドの実の息子と、後に交際することになるソンドラ・ロックが出演している。
で、こんな話さ。
南北戦争のさなか、北軍の無法集団レッド・レッグスに妻と子供を殺された農夫のジョージーは、復讐のために同じ境遇の被害者の会に参加し、早撃ちガンマンとして知られていく。
イーストウッドの西部劇は奇妙な西部劇が多い。「荒野のストレンジャー」もかなり不思議な西部劇であったが今作も同様である。
冒頭からすると、どう考えてもジョージーが二丁拳銃を振りかざしての復讐劇になるはずなのだが、そうはならない。復讐はダイジェストのように終わってしまう。いや、終わってはいないのだが、南北戦争終結とともに、お尋ね者としと逆に追われる身になってしまうのだ。
ジョージーは若いジェイミー(「ラストショー」に出ていたサム・ボトムズ!)と共に先住民居住区へ向かうが、ジェイミーは死んでしまい、その後ローンらネイティブ二人と一緒になって、さらにカンザスから牧場を開きに来た婆さまと孫を野盗から助けて、なんだかよくわからないがまた仲間が増えていくのである。
急造のコミュニティというか、大家族みたいになって婆さまの息子がいるはずの牧場へ向かうのだ。
この映画のタイトルである「アウトロー」とはなんだろうか。
最も一般的な訳は無法者である。
だが、ジョージーはお尋ね者だが決して無法者というわけではない。法秩序(LAW)の外側(OUT)にいる者たち、それは無法者ではなく法に守られていない弱者たちだ。
ネイティブの女と男、野盗に襲われコマンチ族に売り飛ばされそうになった高齢者と少女。妻子を無残に殺されたジョージー。ジョージーたちがたどり着いた町の住民たちもそうだろう。
単なる復讐劇になるかと思いきや、法と権力からの逃避行となり、ジョージーのもとには法に見捨てられた弱き者たちが集まってくる。
なにやら今の日本においても看過できない西部劇、ともいえる。そして最後には法を超えた救済が待っているわけだが。
僕はイーストウッドの西部劇ではこれが一番好きである。ローラたちを助けたことでコマンチ族の襲撃を受けることになったジョージー。
ひとりコマンチ族との交渉に赴き、族長のテン・ベアーと対峙するのだ。コマンチ族に囲まれ、一触即発、というか勝てっこない状況だがジョージーはテン・ベアーと魂の邂逅を果たす。
彼らは兄弟の契りを交わすのである。テン・ベアーのコマンチ族もまた法と秩序の外側にいる者たち、アウトローである。ここのイーストウッドが良い。知性と野性が同居したカッコよさである。
それじゃあ読者諸君。愉しいたけしゃない、哀しいだけじゃない。では失敬。
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